書籍紹介(壮大かつ圧倒的に面白い哲学の書)
1,000ページを超える作品なので気をわずに気楽に読み続けるのがいいと思います。内容自体は細かく別れているので 面白いなと思うところをまず読んでいくというのもいいと思います。
→哲学には興味があり 読んでみた
堅くるしいのは嫌なので 軽いのがいいなと 触りを読んでいけるかなと思った
→子どもとのやりとりを介して 哲学 考え方の例を示しているので わかりやすい
→トロッコ列車で どちらかを轢かないけないとき どちらを選択する? そんなの選択できない 轢かないでいい対策をとるべきだが 現実でも 轢かないがない選択はあるかもしれない
→自分の感じている世界の定義は 誰もが同じとは限らない 色はそれぞれ同じもので 人それぞれ感じ方が違うはずだとは思うが 赤 と識別しているものは 共通ということになる
→自分が自由にする権利はあるが それは他人にもありえるものなので他人の権利に抵触してまで自由をえるのは難しい
→こどもや夫もしくは妻のしつけ方なんかもあるが これは人としての接し方ではない方法もあり 見た目はうまくいっていたが 実際はお互いに対して理解できる方法が必要ということだ
→犯罪に対する罪のかんがえかた
→子どもに対する親の命令
→性別とジェンダーとスポーツは 身体の特徴 ホルモンの量 自身の心と身体の一致 と 競技のなかで性別で分ける意味 分ける必要があるかなのかんがえ方
アマチュアとプロに関しても関わる 観戦する分には拮抗したゲームが熱を帯びて面白い 哲学的に考えるとこうなるという
→人種差別 白人と黒人での差別 日本では極端な外見の差は少ないが 差別が無いという訳では無い 貧富による差別や 学力 運動能力 住んでいた地域 など至るところに差別はある それをアメリカのように大きく取り扱わないだけかもしれない
→生物学的に人類に差はなく みんなの祖先は7000万年前にある個体となるそう 黒人が社会的構造で生まれ、それ以外は白人となったそうだ アメリカ社会が黒人を作るまで 黒人や白人はなかった 今もこの差はなくていいものだとも思う
→白人と黒人は 見た目には確かに肌の色が違う特徴はある 白人の肌は白色ということはなく血色を考えるとピンクに近いかも
→黒人の喜びもある 音楽芸術アート文学など
→白人だから 差別の上に成り立った特権だから 白人達として作り上げた文化だからとして 尊敬できない 個々人として作り上げた芸術や文化は尊重できる
→企業が生み出した製品に対して、個人が責任を取らないといけない場合もあるかもしれないが、製品を作る時点であらゆる人が関わり、その誰かの気づきで問題のある製品が世に出さないようにできる・出さない仕組みづくりができるはず なので個人とは別に企業としての責任を追及されることがある
白人の社会は個人の集まりで、仕組みづくりで問題を対処する訳では無いが、白人社会という特権・利権を享受するなら、それについての責任がついてくることになる
→白人と黒人では 社会や警官の対応が異なるらしく、親が子どもに対する どう接すればよいかという教え方も大きくかわる 黒人は警察や社会からの危害を避ける方法などになる
→自分と違う人を嫌う人がいる 誰も全く同じ人はいない 自分が産んだ子でも違う 多様性を受け入れられない人は確実にいるが 世界が良い方向に進むには 多様性 いろんな考えが必要だと思う 簡単なことではないが
→夢の懐疑 これは夢なのか 誰もが考えてしまう疑問 現実と断定できることは何があるのかを考える喜びもあるのではないか?
われ思うゆえに我あり 自分が存在すること それは変わらない事実である
→知っているとは どういうこと? 頭の中にあることではないと思う そのものを現実に表現できて 運に左右されない事実をさすのかも
→知るの基準は 文脈や判断基準(考慮する必要のある別の可能性)により変わる
→今この世界は、コンピュータのシミュレーションの1つに過ぎないのではないか?コンピュータ技術が発展しそのようなことができる未来が来るかもしれないが、それを実行するエネルギーはあるのか?将来人間の脳を全て理解してしまえるのかなど疑問は残る
また、シミュレーションの1つだとしても、その中に存在する個人には権利と責任があり、実社会との差がないのであれば、シミュレーションであってもそれは1つの世界となる。誰かが社会として認識しているものなのだから、この考えは間違ってはいないのだろうと思う。
→ウソをつくこと ふりをすること どちらも相手に真実でない事を伝えることになるかも ただ 結果的に真実を伝えていることもある この場合でも ウソをつくことにはなる 結果的に真実は ないと思っていたものが 誰かから知らない間に渡されていたとかがあるから
→ウソをつくのはなぜ悪いとされているのか 人を欺く悪意のあるものは悪い そうでないなら寛容されるものもある フィクション書籍、ドラマ、コメディなどもウソがはいることはある 現実でも悪意のないウソもある
→悪意のある問いかけに対して、真実を返す必要もないので、この場合もウソをつくことになることがある
→各個人、集団にはそれぞれの考え方があり、正しいとおもうことが一致しているとは言えない、このため 互いが正しいと主張するだけでは、何も解決しない
→何が道徳的に正しいかは、その時代や社会により異なる 個人で異なる なので正しいとされる判断の根拠を深く考え 自分が納得できる判断を信じることになる どこかに示されているという判断は その根拠を確認して納得してから信じる必要がある
→赤ちゃんであるとはどういうことか こどもは不完全な大人ではなく すでに複雑な機能をもっている 誰もが赤ちゃんだったが そのことはもう思い出せない 青虫から蝶へと変体してしまい戻れなくなってしまったようだ
→自分以外は、考えられるものではないかもしれない NPCだったりするのてはないか?シミュレーション世界で1人だけ感情がある世界ではないかとか、そんな世界だと認識して 以降の人生を冷静に過ごせる自信はない
→脳が音を実感を持って認識するのはなぜか 大きさ・周波数・発生場所の特定などの脳の処理はある程度解析が進んでいるらしいが、なぜ音を実感を持って認識するかはわかってないらしい これは心が感じていると表現すればよいのだろうか
→赤を赤だと感じる経験する場合 生まれたときから赤を知っているなら 赤を経験することにはならない 人は生まれながらにして 全てのことを知っていて それらを認識していると言う考えもあるらしい
→世界のすべてのものに 意識があり 経験するという考えは、私は否定的に思うが 今 目の前の机が何かを経験したとしても 私にそれを知る手立てがないので本当のことは分からない ただこれを分かることで何か進歩するのだろうか?
→宇宙は無限なのか 宇宙の端で手を伸ばし 壁に当たったら その壁を越えるとさらに先へとす進めるし 壁がないなら さらに先に進める なので宇宙は無限 なんか釈然としない考え方だが 大きく間違いだとも言い難い
→一番大きな数字は何か?これは上で示した宇宙の壁と同じ考えで、一番大きな数字を出してもそれより1大きな数字がさらに大きいことになるということを示した。数字に制限はないという意味かな?ただ実用的な面から言って、国家予算でも兆でまれに京とかになるので、なかなか考えられない数字もあるかな
→宇宙が無限だとしたら 私たちには何も影響がないと思われるが あらゆる行動はよい結果を目指すということができなくなるかもしれない
自分たちが認識できる範囲外の世界が よい結果を目指さないかもしれないことが その原因である。自分たちの認識外のことは どうにもできないとことだし
→無限という数字の概念 無限に1を足しても無限 2をかけても無限 ただし 無限に無限は足せない なんだか釈然としない 何を足しても無限なら 無限を足しても無限でしょ
→宇宙から見た自分は取るに足らないものかも だが 自分に起こる出来事は自分にとってとても重要なこと。当たり前なことだとは思うが 政治家は自分ごとよりも 宇宙・世界を優先できる人になってほしいものだと 俗世間的な考えが浮かんでくる。
→自分や家族にとって 大切なことは 世界・宇宙からしたら取るに足らないものかもしれない 受け入れがたいことが起こるかもしれない そんなことに関して 自分を抑えて生きることが必要になるかもしれない。そんなこともあるが、それを 大したことではないと自分の中で消化できるかが大切なのかもしれない
→神は存在するのが?のところで 数字の6は存在しないと甥に話しているが その時の根拠は別に6でなくてもいいなと感じられた 他の数字でも同じことが言えた
→数字は人類が発見した?6は形として示すことはできる 6が人類と無関係に存在するか という疑問は自分には浮かんでこない
→大きな質問 神はいるのか? などは 結論で話を終わらせるのではなく そこから話を始める 矛盾点もあるかもしれない 難しい話をしないといけないわけではない お互いの考えることを話し 考えを育てるきっかけになるのではないのかな?
→神を信じることで神が存在するのは同意だ 宗教的な行為は人間を秩序に沿って行動させるものだとおもっている それに適したもので それを必要としない人には 供するものでもないと思う
→信仰は信念ではなくて行為に属する 確証などをもとめるのではなくて 神がいるとして行動すること 私にはそこまでの覚悟がないと思う 日本では緩やかな信仰だが 多くの外国では信仰は厳格なものであるらしい なので 私は信仰について深く関わったことはないし 今後も関わらないものだと考えている ただ 時々今回のような書籍で取り上げてもらうと 信仰とは?など考えるのも 興味深いなと思う
→理詰めで信仰に至ると考えた数学者・哲学者がいたらしく その考えは何か打算的なように思う 神いたとして その恩恵が大きくなるから善行をする いないと考えたとしても 善行自体はいいことだからする 良い方向に向かう考えなら 賛同できる 良い方向・善行が 全ての人にとって 良いこと とはかぎらないけれどね
→世界の成り立ちと神と物理法則の関係 今の世界はなぜ存在しているのか 宗教的で物理的でこうという 決まった考え方はあるようで ないかもしれない ただ 目の前にあるこの事実や法則性はなぜできたのか 考えるのは 新しい発見のもとになる可能性もあるので このことだけでも 意味のあることかもしれない
→悪はなぜ存在するのか?一神教では悪が多数をしめるのかな?多神教では悪の神もいるのだし なぜ存在するのか?は考える数だけ答えがあるように思う 神が全能であると考えるなら 悪を残す必要もないと思うが 悪のない善とか認識できるのか?物事の2面性を考えると 善は一方では悪にもなりえそう
→ロッカーの扉を替えても、それはおなじもの?ロッカーの構成している部品自体を替えても、それは自分のロッカー?私としては その場所空間にあるロッカーが自分のもので、構成されていた交換された部品を使って別の場所で作られたロッカーは自分のものではないかもと思う これは場所を重視したときの考えで 部品を重視すると話は変わってくるかな
→「考える人」を育てる
この書籍では子どもに対して として書かれていたが 大人でも同じことだと思う
相手の話をしっかりと聞く
話について質問する
質問は反対意見を挙げるのではなくて
なんでそう考えたのとか 発展させる形とか
逆の視点からも考えられるとかがある
それと 自分の話は減らし
育てたい人に多くを話すようにすることか重要
→哲学は子育てに いいのでは? 子どもに真剣に向き合い話を聞いて その本質を質問し合う 子どもはそれだけでも 心が落ち着く・救われるのではないかな 大人も子どもの無垢な真理に近づく質問を思い出すことができ 自分たちの今を見直す機会になると思う
→子どもはみんな哲学者
日々何かに興味を持って見て聞いて考える この書籍では、子どもは素晴らしい哲学者だとしている それは私も思うことだし 子ども心を忘れない大人もそれに近い人が多いかもしれない 一般教育的な考えが こんな物事を見て聞いて考えることを 抑制していくのかもしれない ただ哲学を知った場合 そんな教育の中でも 本質を知ろうと考えるようになれるなら それは楽しくお得で素晴らしいことかもしれないかな?
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